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「神奈川新聞」1994年6月10日付「随想 水特集」

「神奈川新聞」1994年6月10日付 「随想 水特集

        豊富に使える贅沢     歴史研究家 鈴木かほる

    横須賀の水のおいしさは、おそらく、わが国でもトップクラスであろう。特に、走水の水は、また格別。それは、地質がいいからである。
 私が小学生時代、市内佐野町の高台に住んでいたとき、我が家の生活用水は、すべて井戸水で賄われていた。頑固な父が、冬は暖かく、夏は冷たい゛宝の水゛があるのに、水道など以てのほかとして、あえて不自由さに甘んじた。あの高度成長の初期、「三種の神器」の一つといわれた憧れの冷蔵庫さえ買求めず、井戸をその代用としたのである。
 汲み上げたつるべ、時折、大きく成長した鯉がすくい上げられたことがあった。鯉は、清らかな水でしか生息せず、水中の水ゴケやプランクトンを食べてくれる。常に、安全な水であることを確認する先人の知恵であろう。深い井戸から汗を流してくみ上げた水ゆえ、家族は皆、大切に使ったものである。
 ごく最近まで、飲料水を買うのは、海外旅行の際だけだと思っていたら、我が国にも、ミネラルウオーターが出現した。これがまたジュース並みの相場である。明治の頃、水屋という商人がいて、天秤棒を担いて水50リットル50銭で市中を売り歩いていた。当時の土工労賃が1日1円というから、水はたいへん高価なものであった。
 水は、生命をはぐくむ。それは、哲学の父タレスでなくとも、誰もが承知している。今、その水は環境、生態系の破壊という大きな損失と引き換えに生み出されている。それなのに、豊富に仕えるなど贅沢かもしれない。
 近年の冷夏や、地下水・水道水の汚染を思うとき、水パニックを連想したことがある。そんなとき、井戸水を使っていたころの質素倹約の心を新たにするのである。
     (横須賀市桜が丘)

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