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産経新聞「決断の日本史」所載記事

 
 
     < 広い知識で「外交顧問」に就任 >

 「関ケ原の戦い」の約4カ月前にあたる慶長5(1600)年5月12日、大坂城西の丸にいた徳川家康の前に1人のイギリス人が引き出されていた。2カ月前、豊後国(大分県)に漂着したオランダ商船、リーフデ号の航海士、ウィリアム・アダムス(1564~1620年)である。
 豊臣秀吉が2年前に亡くなって以降、家康は実質的に諸大名を束ねる存在となっていた。そんな彼が気にかけた問題の一つが、スペインをはじめとした西欧の強国との通商であった。
 家康はアダムスに深い関心を示した。世界の地理や政情に通じ、造船や航海の技術も身につけていたからである。大坂城での引見(いんけん)は3度行われ、家康は深夜まで質問を浴びせ続けた。
 この対面を機に、アダムスは家康の「外交顧問」となった。アダムスも側近としての信任を誇りに感じたようである。江戸に屋敷、さらには三浦半島に領地も与えられ、「三浦按針(あんじん)」という日本名をもらった。彼の指導で造られた日本初の洋式帆船は1610年、太平洋横断に成功している。
 アダムスはなぜ、これほど厚遇されたのだろう。『徳川家康のスペイン外交』の著書もある中世史研究者、鈴木かほるさんは次のように言う。
 「アダムスの実務能力が役立っただけでなく、彼がプロテスタントで宗教と貿易を切り離して考えられた点も都合がよかった。家康は人柄を見抜き、彼を使って浦賀(横須賀市)を国際港にする構想も持っていたんです」
 アダムスは謁見後も20年にわたって日本で暮らし、妻子ももうけた。そしてよき理解者、家康の死から4年後、長崎・平戸で亡くなった。時代はキリスト教の禁止、鎖国へと動いていた。故郷に戻る夢はかなわなかったけれど、一代の英雄に寄り添った幸せな半生というべきであろう。(渡部裕明)

 

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