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『史料が語る向井水軍とその周辺』

『史料が語る向井水軍とその周辺』 本体価格2900円+消費税 送料無料

 ー初めて解き明かす向井一族の実態ー 戦国期に伊勢國に発祥し、今川氏、武田氏、徳川氏へと移籍し、その技量を昇華させた向井水軍。その新出史料から、向井氏を中心として九鬼・小浜・間宮・千賀・後北条氏の各水軍たちの実態を解き明かす。

<内容>
 向井氏は戦国期に伊勢国に発祥し、駿河今川氏、甲斐武田氏へと移籍し、最終的には、向井政綱のとき徳川幕府の船手頭として落着し、その技量を昇華させた。本書は、向井氏の出自から起筆し、新出史料を挿入しながら、向井氏を中心として九鬼氏・小浜氏・千賀氏・間宮氏・梶原氏・小笠原氏などの各水軍の関係から、向井氏の実態を明らかにした。新出史料には、向井将監忠勝の花押を載せる唯一の自筆文書や、将監正方の自筆文書、将監正員や将監政香の花押を載せる文書、向井将監と伊勢の豪商角屋七郎次郎との親交を示す文書などである。また三浦郡が会津藩領となって、向井将監の所領が召し上げられた際、どこへ代知となったのか不詳であったが、その地を示す資料も判明した。
 
向井氏は馬上資格を持つ布衣の身分として、江戸城下の川口に厩(馬小屋)を備えた広大な本屋敷を与えられた。はじめて将監を称したのは、向井政綱の嫡子忠勝である。忠勝は将軍徳川秀忠に寵愛され、将監の称号と小大名並の知行6千石余を与えられている。将監とは、護衛を指揮する判官のことで、従六位に相当する官職名である。以後、将監は、代々向井家宗家の称号として用いている。徳川秀忠が幕府の権威を誇示するため、将監忠勝に建造させた巨船安宅丸は、伊豆で建造されたが、その装飾地は将監忠勝の本拠地三浦三崎であるとする。
 
向井氏庶流の中で、特筆すべきは四つある。一つは、将監忠勝の娘が水戸藩の三代付家老の中山信治に嫁し、その五代信成の生母となったこと。二つには、下館藩二万石の藩主石川氏の養嗣子となって藩主を継いだ向井氏。三つには、小田原城主の六代大久保忠増の正室となった女性。四つには、徳川頼宣が紀伊藩主として入部した際、慥柄組大庄屋となって田丸城下に住んだ慥柄向井氏などである。
 
幕府の海上軍事は、江戸常駐の向井将監、大坂船奉行の小浜氏、この二極体制により全国に及ぶもので、二人は海上軍事官僚として、その名を東西に轟かせたのである。文久二年、幕府船手職が廃職となると、向井将監は勝麟太郎(海舟)と並び、築地に開設された御軍艦操練所頭取となり、海上軍事官僚としての地位を保持した。横須賀製鉄所が開設されると横須賀製鉄所奉行並に転じたが、幕府滅亡により、明治政府に東京府貫属士族として取立てられ、家禄が支給されている。これは明治政府が華族・士族に与えた、いわば賞典禄である。
 
本書は、向井氏の出自から向井将監の称が消滅するまでの四六〇年余の変転をたどった。因みに、向井一族の墓は、高野山金剛峰寺をはじめ、静岡市清見寺・東京深川陽岳寺・逗子市海宝院・横須賀市貞昌寺・三浦市見桃寺に存在する。(著者)









 

 

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