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『徳川家康のスペイン外交ー向井将監と三浦按針』鈴木かほる著

book 『徳川家康のスペイン外交ー向井将監と三浦按針』 新人物往来社 2010年 
          

<本書の概略>
 日本史上、為政者が外国人を外交顧問として寵遇した例がない中、家康は、なぜ三浦按針を外交顧問としたのだろうか。本書は、このなぜという理由に言及している。
家康が、三浦按針を外交顧問としたのは、対スペイン交渉のためである。つまり、大型帆船の造船技術と金銀精錬法の導入のため、相州浦賀に、スペイン人の造船匠および鉱山技師の招聘を交渉するためである。なぜ浦賀湊かというと、家康の所領は関東のみであったからである。
 当時、日本には大型帆船の造船技術はなく、家康が広く欧州の国々と貿易していくためには、太平洋の荒波に耐える大型帆船を持つことと、天下統一のための資金確保=金銀の増産が急務であり、それにはスペイン領メキシコで行なわれている画期的な金銀精錬法=アマルガム法の導入が必須であった。ところが、家康の側近にはスペイン語の通詞はいないため、交渉は頓挫していた。そこへ三浦按針が現れ、外交顧問として抱えたのである。三浦按針の尽力により慶長九年、はじめてスペイン船が浦賀に入港し、以後、毎年、入港している。
 三浦按針が英・蘭貿易のために雇用されたのではないことは、両国との通商成立の過程をみれば明白である。すなわち、三浦按針の母国英国と通商を結んだのは三浦按針の来日から13年後、蘭国とは9年後であり、しかも、両国の貿易会社が三浦按針に書翰を送り、按針の仲介で実現した、いわば家康にとっては受身である。英・蘭貿易が目的で三浦按針を雇用したとすれば、三浦按針の来日後、直ちに両国との通商を成立させたはずである。
  三浦按針が、江戸のほか逸見・浦賀に屋敷を与えられたのは、スペインー浦賀間の貿易を遂行していくためであり、逸見の采地はそのための報酬である。でなければ、同じ外交顧問ヤン・ヨーステンのように、江戸邸だけを与えれば良いはずである。
 英・蘭両国はプロテスタントであるから布教はしない。したがって、家康にとって両国は理想的な貿易国であるのに対し、スペイン国は貿易と布教とを一体化した理念を持つカトリック教国である。布教を好ましく思っていない家康は、スペイン交渉を成功させんがため、布教を黙認し、スペインの浦賀商館ともいうべきフランシスコ修道院を建てることを許可した。家康が浦賀入港を強要したのはスペイン商船のみであり、英・蘭の両国の商船の浦賀入港は、全く強要していない。それ故、英・蘭両国の商館は浦賀には置かれず、平戸に設置された。 
 
浦賀にスペイン商船が入港するたびに、英・蘭の平戸商館の商館員が自国の商品を持って浦賀に急行し、売切るまで貿易が行なわれた。浦賀湊には多くのスペイン人が在留し、今の我々の想像を遥かに越えた賑わいをみせていた。
 
ポルトガル人によって、スペインー浦賀間の貿易が中断された際、三浦按針は、家康の命によりスペイン領マニラに派遣され、三浦按針の交渉によって浦賀貿易が再開されている。 
 
スペイン人ドン・ロドリコ・デ・ビベロが上総岩和田沖で座礁した際、家康の命を受けて、その救助に急行したのは三浦按針である(千葉県御宿には、住民が、漂着したビペロらを救助したことから、「日西墨三国交通発祥記念碑」が建碑されたが、実際にスペイン船が入港し貿易が行なわれた浦賀湊には「日西墨三国貿易記念碑」なるものは浦賀にない。願わくば、これを機会に建碑して欲しい)。このとき、家康は三浦按針船をビベロに提供し、鉱山技師派遣の交渉船として浦賀から発向し、ビベロ一行を帰国させている。これが、日本航海史上、初の幕府船の太平洋横断である。家康は、はじめて手に入れた太平洋を渡る船を、対スペイン交渉のため提供したのである。
 伊達政宗の遣欧船サンファンバウティスタ号は、メキシコ使節ディエゴ・デ・サンタ・カタリーナを乗せ、貿易船として浦賀に帰帆している。
 
日本人のキリシタンが増加するのを危惧した家康は、常に三浦按針にスペイン国の情報や、本国から派遣された宣教師の動向の報告させていた。禁教令が発せられた際、浦賀に滞在するスペイン人に禁教令を伝えたのは、長崎から急行した三浦按針である。家康の側近の中で、禁教令と国外退去令を正確に伝えることができたのは、三浦按針のみである。そして、この家康の浦賀スペイン貿易を統括していたのは、徳川船奉行向井政綱・将監忠勝父子である。

 関連論文
・「徳川安宅船の完成寛永十一年説の否定と装飾地の考察」『神奈川地域史研究』29号 2011年。
・「徳川家康の浦賀開港とその意図」『神奈川地域史研究』12号 1994年、『日本史学年次別論文集』学術刊行会に再録。
・ 「スペイン外交と浦賀湊」『郷土神奈川』 52号 神奈川県立図書館 2014年。

 
 

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