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向井将監について 

「あるエルブログ」よりhttp://ari-eru.sblo.jp/article/114058492.html

『史料が語る向井水軍とその周辺』 鈴木かほる ★★★☆☆

 九鬼水軍、村上水軍はそれなりに知られるようになったが、この本で取り上げられている「向井水軍」の知名度は…かなり低いと言うしかないだろう。そもそも徳川にも「水軍」があったこと自体、どれだけの人が知っているだろうか。徳川には有名な「海戦」ないため、その水軍にはさほど目が向けられていない。 だが、海上での戦が皆無ではないのだ。 小牧長久手のときには徳川水軍の小浜・間宮氏が感状を得ているし、小田原の戦いにも徳川水軍は輸送その他で参戦している。 本能寺の変のとき、堺から戻る家康は伊勢から船で三河に辿り着いた。 徳川は水軍・水運を軽視してはいないし、できるような環境にはないのだ。 海に面した領地を持つ大名にとって、海への備えは必須である。天候に大きく左右されるが、陸上交通が発達するまで水運は重要な輸送手段であり、また、徳川が作り上げた「江戸」は運河・水路が張り巡らされた水の都であった。 徳川の水軍は三河時代から存在していたが、その規模が拡大するのは、今川の旧領であった駿河を手に入れてからである。 向井水軍の発祥地は伊勢である。
 著者は系図から、今川氏がその伊勢から向井氏を招聘し、今川水軍に迎え入れたのだろう、と推定している。北条氏も伊豆に備えていた水軍に紀州熊野の海賊を迎えている。九鬼水軍も志摩が本拠地である。東国勢にとって、海賊は黒潮で繋がった紀伊半島から「呼ぶ」ものであったのだろうか。 恐らく今川義元によって駿河に領地を得た向井氏は、武田氏の侵攻によって、所属を今川水軍から武田水軍へと変える。しかし、程なく、武田水軍は武田氏の滅亡により、徳川水軍となる。さらに、この水軍には北条氏の滅亡によって伊豆水軍も吸収される。 家康の関東転封にともなって、向井氏の本拠地も関東へと移る。
  向井政綱は上総・相模に二千石を得て、相模の三浦郡に居を構える。向井政綱の息子忠勝は秀忠の寵愛を受けて、江戸幕府船手頭筆頭の地位を得て、小大名並の知行を得る。 著者は向井氏の子孫の方から託された系図及び新出文書などを用いて、今川→武田→徳川と渡り歩いた向井氏の動向を幕末まで記していく。ただ、その途中で同じく徳川水軍に属した間宮氏、小浜氏、千賀氏や、向井氏と婚姻関係にある長谷川氏などにも触れていくため、度々、話題が前後する。史料もかなりの長文が引用されているときがあるので、慣れないと読み辛いかもしれない。 著者も冒頭で書いているが、向井氏についてはさほど研究が進んでいない。
 今回、新出史料とこの本が出たことで、今後「向井水軍」や、それを内包する「徳川水軍」にも「九鬼」「村上」並に目が向けられるようになると良い。 後書きに黒田日出男氏も「向井将監」に関する書籍を出す予定とあった。こちらも期待したいが、出版予定の九月はとうに過ぎている。無事に刊行されるのだろうか。

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